●;組織の面白さ、つまらなさ (余分篇)

●;きっこのプログを時々読む。その面白さは何かと言えば<ひたすら書いている>ことにつきる。その熱意はなんだろうと思う時がある。気に入っているのは、日々の生活の記録、特に食べ物のディテールに渡る描写の力だ。「神は細部に宿る」ではないけれど、細部をおざなりにする人間にろくなものはいない(その一例となるのが私)。おおざっぱ人間かエラソー人間ほど細部(=現実)を見ようとしない。
●;おおざっぱ人間は、俗に「だらしのない奴」とも呼ばれる。そのおおざっぱさが組織の道化役の役割を担っている時は、大概、その組織はうまく行っている。その組織が<余分なもの>を蕩尽しようとする余裕があるからで、蕩尽を許さない組織は企業文化を作れない。それは、単なるプロフィット組織である。また、組織が詰まってきた時に<余分な彼>は標的になり、一斉に攻撃される。組織に発展の展望が見えない時に組織の敵は内部の<異人(まれびと)>に向かう。かつての仲間を平気で殺すのが組織。昨日の<愛すべき人物>は、たちどころに<憎むべき敵>に転化する。論理よりも倫理が過剰になる。
エラソーな人間は、細部の全容量を見ずにその瑕疵部分だけを見つける。森よりも一本の木というわけだ。論旨に頷くのではなく誤植、コンセプト部分の正当な批評よりも誰でもが判る誤記を見つける。チェックといえば聞こえがいいが「鬼の首」を取ることに一生懸命になる。「瑕疵を見つけた」ことが彼のエラさの表明となる。実は、回りは彼にとって「恐怖の鬼」なのだ。
●;「きっこのプログ」はよく調べて書いている。食べ物について記す姿勢と同じだ。その調べの根拠が「本」なのか「ネット・コンテンツ情報」なのか(「業界情報」はいざしらず)判らないが、感心する時が多い。細部をおろそかにしないこのエネルギーを<よく書いている>と評する由縁だ。どんな組織であれ、こういう人間の存在が怖いはずだ。今のところ、「おススメプログ」の1位にしている。