組織の面白さ、つまらなさ (3)

●;「わいがや③」を企てるモチーフが<組織の面白さ(不可解さ)>の解析であるとすれば、「わいがや①」のそれは、ビジネス上の<キーワードの発見>である。「②」もまた「編集上の視点の獲得」にある。構成するメンバーが違うだけで、コンセプトは「新しいコトバ獲得の場」である。
「オープンな場ですよ」と公言しているから、基本的には誰が来てもいい。が、時に勘違い男がやって来る。彼は名刺集めに汲々とする。営業に役立つ名刺ならなんでもいい。<人>よりも会社の大きさ、実在の人物よりもその人の肩書きと話したがる。いつか、先物取引会社の営業マンが来て、何も発言せずに名刺だけ集めて後日、電話しまくった男がいた。この話を後に、参加者から伝え聞いた時に私は、彼の会社に電話した。「それはねぇだろう」というのがこっちの論理。「社長を出せ!これから押しかけるぞ!」と怒った。彼は電話口でしおたれて「それだけはやめて下さい」と泣き言を言った。彼には「新しいコトバ」を得たいという願望はもともとなかったのである。先物取引会社とは縁もゆかりもないが、こういう営業しかない企業の弱さを見た気がした。兵自体が組織を自ら壊している。その事に気が付かない経営者もバカである。
●;また、自分のことだけを語りたい連中が出てくる。自己愛に満ちたナルチャンたちである。他者から得られる(享受する)コトバよりも自分の経歴やら肩書き、持っているたかだかの情報をひらけかす。得意になりたいだけである。バーの女に名刺を配ったりするバカ社長と同じである。彼には、彼よりも「下位」につく人間が要るようだ。こういった他者性を欠いたご都合主義者は、すぐ離れてしまうからどうでもいい。
●;7月の「わいがや①」では「企業のオリジナリティとはなんぞや?」というところに議論が進んだ。ネットの発達によって「作り手の情報収集力と分析力」と、受け手(=消費者・読者)のそれに「差」が無くなっている現象を指した人の話から拡げて行った。彼は情報誌のことを指して言ったのだが、「<素人の時代>の出現」と語った人に吉本隆明がいる。アマチュアの大量発生を「困ったこと」だと言っているだけでは、単なる現象批判、もしくは旧い人の嘆きである。
マンガが大衆化された時に自発的に「コミケ」が生まれ「書き手と送り手」の(従来ではない)マーケットが拡大したように、ネットというメディアが「新しい書き手や送り手」の相関関係の変化を促していると見なければいけないのではないか。そこに着目し、ビジネスモデルが作れるかにかかっている。