●;組織の面白さ、つまらなさ

●;先日、「わいがや③」の準備会的な集まりを行った。(広い意味で)人材系会社に籍を置いている女性たち何人かに集まって貰った。こういったことをやらかす根底にあるのは、昔、ある採用PR会社の一部門にいたことが(少し)ある。採用系の仕事といってもごくたまに企業の人事部〜に顔を出したことがある程度の関わりしかないのだが、その会社を創った幹部連中と話が合わなかったことがあった。「何を面白がって仕事しているのかな」ということが判らなかったのである。
その会社に転がり込んだのは、採用系事業の余剰で作られつつあったメディア系の仕事の助っ人だったので、人事採用とかは全くのど素人である。門外漢の外様たる私(ら)は、ちっぽけな出版企業の片割れにいたに過ぎないのだが、<気分としての特権>(今から考えると鼻持ちならない権力観である)だけは持っていた。なーに、本の著者に近いところに立っていただけである(せいぜいがお庭番のお仕事である)。書き手というのは、文学者であれ、学者であれジャーナリストであれ<権力>になろうとしているのである。<反権力>を唱う連中も同じである。文壇という権力、学会という権力、新聞社という権力をコトバで支配したい連中であり、企業や官僚の世界とも扱うのが「(売上)利益」と「法」の違いこそあれ、支配したいという点では同じである。
●;その会社を辞めてから、経営幹部氏に「何を面白がっていたのですか?」と聞いたことがある。「組織が面白いからだったのですよ」と答えられてガーンとなった。「へぇー」である。バカとしか言いようがないが、ある意味で晴天の霹靂である。フツー企業の組織観に、彼らの会社独自の組織観で対抗しようとしたことが少しわかった。当時のフツー企業が持っている組織観がフォーディズムであったし、出版業界はフォーディズムの反対側にいた(とりわけ編集業の世界では、いや、正しくは「いる」と思っていただけに過ぎないのだが)。
この頃「よく出来た商品はよく編集されたものである」というテーゼ(キャッチコピー)を自分なりに打ち出していたが、本屋の棚であれ平台であれよく出来た店員ほど「編集」していると言いたかった。彼らの初源の動機は「よその店とは違うことをやってみたい」であり、<自分の眼>に依拠しつつ、本を買うであろう未知の買い手に挑発しようとする心根のようなものであった。流行の本を並べるだけのバカがいたが、こういう手合いは彼固有の眼がないから、誰にでもとって代えられる。好みであり、贔屓であれ、彼または彼女の精神のようなものが流れている場所と、そうでない場所の違いは大きい。
●;書店をフツーのショップと捉えると、チャーミングな店とそうでない店では格段の差がやがて出てくる。そういった「編集の自由」を許容する経営者と、目の前の「(売上)利益」しか考えない経営者と別れてくる。チェーンストアの流行、一店舗当たりの売上は少ないけれども、束になれば莫大な売上利益を生むという考えだ。