●;「わいがや①」の集まりで

●;「わいがや」という催しを一年以上続けている。場所はキャリア・コンサルタント協同組合/協会だ。ま、その集まりのプロモーション担当といった役割兼司会役をやっているのだが、記録癖がないので(別途、正確な数え方は出来るのだが)何回やったか忘れてしまっている。すぐさま「○○の会」といったネーミングで人を固めて組織化するのには興味がない。「わいがや」は誰かの所有物にしてはいけない。「フリーな出入り自由でディスカッションの集まり」に〜が根本にある。その集まりになんどか参加してけっこうスルドイ発言をするクラウチシンヤ君という青年(でもないか)が、「出版〜メディア関係の人」だけでやりたいみたいなことを言ったので「どうぞ」と、勧め、そのクラウチ君に呼びかけ人になってもらった「出版〜メディア系の人々の集まり」をごく自然に「わいがや②」と言い始めたので必然的に「元版」を「①」と名乗ることにした。①では、ビジネス系の話が中心になる。
●;「わいがや①」も「②」もそうだが、<キーワード的なコトバ>が得られればいい。私も含めた参加者の大半が「フーム」と頷いてしまうコトバの発生の瞬間。そいつがたまらなくいい。そのためにやっていると言ってもいい。知らなかった「出来事」や「事実」や「能書き」やトレンド的なインフォメーションで人は得した気にはなってもそれ以上の気分が興らない。参加者の共鳴を受けて響くコトバが大事。自分(のコトバ)に酔いしれるタイプの人がいくら強調しても、その程度のものではキーワードにはならない。
<(ビジネス的な)情況の言葉>になっていると受感されたものが「わいがや①」でのキーワードとなる。評価者は司会役の‘特権’で私が行っているが、前月は《顧客は商品の「機能」と「関係」に期待する》であった。「顧客満足度ってなーに?」みたいな論議の中でオオナカトシユキさんという研修講師業の人がやや解説口調で言ったのだが、「フーン」という声が聞こえた。「フーン」は沈黙も含めた共鳴音である。「わいがや①」も「②」も(そして「③」、「④」も準備中だが)何か(新しいコトバと活動)が生み出される<磁場>になっていればいい。
●;昨日の「わいがや①」では、《「検索の時代は終わってコミュニティの時代だ」》とか言ったらしいホリエモン氏の言葉に痛く刺激を受けたという若いワタナベタクジさんの解説から発して、「コミュニティの不在」論議に入った。いくつかのコトバが発せられた。どれをキーワードにしようか迷う。
立ち居の再構成」(ミヤザキ君の物言い)…ちょっと説明を要するのが難点かな。
「商品を買う時のモチベーションとして、最初は知り合いのすすめで買う。次に10人の人が買っているのを見て買う。さらに100人の人が買っているのを知るとさらに売れる」(正確な再現ではないが、ワタナベさんが引用したコトバもいい。いろんなことを考えさせられる。ただ、オリジナリティの点で、やや。もう少しコンセプチュアルなコトバで編集されていれば)