●;他人の死

●;連休の最中、長いつきあいのあったユウジンが死んでいた。病気持ちの人ではあったがその死は、誰しもが「エッ!」と叫んだ。私らが彼の死をわかりかけたのは、二日前。とりあえず、見知った連中で焼香に出かけることにした。祭壇に遺影が置かれていなかったせいもあるが、銀色の布に包まれた遺骨を納めた箱には(当然のことながら)生のリァリティのひとかけらもない。「長居するのはやめようぜ」と前もって口にしていたのだが、遺族がやや詳細に語る故人をとりまく一族の話が続いた。それを遮る人はいない。初対面に近い私らに早く死んだ弟を叱りながらも遺族は何事かを語りたいのだ。身内が語る故人と私らが持っている<彼の像>にディテール描写の差はあるけれども大きな<像>の違いはない。なんだかんだあったことは事実だが死んだ弟の実像を伝えたいために彼は一族の顛末記を語る。彼らの祖父、彼らの父母など<家族の中の彼(ら)>の姿を伝えたいようであった。それは昭和20〜30年代のある家族の物語。どんな家もその家の立派であれ凡庸な人であれ身内の誰かが死んだ時に(しか)幻影の一族が再会するように物語る。「一族再会」を遺骨の前に供えようしていた。