尼崎の電車事故報道(6)

●;事故から一ヶ月近く、予想されたようにテレビ等での報道も激減。JR西日本の経営幹部をつるし上げる(いろいろな意味で)刺激的だった(バラェティ番組のように下品ではあるけれども、
ついつい見てしまうような)場面の短期記憶は遠ざかり、なんという長期記憶が残るのだろう。
●;飲み屋で(私ら)三人の男が「事故(報道)」についてよもやま話。なにかの話の延長で、ふぃと出てきた。床屋談義の一種だ。
ある男が言う。「西と東は違う」と、関西と関東の違いを語る。ボーリング大会やゴルフに行ったJR西日本社員を激しくなじるのは「関東(東京)の論理」だという。「西」の方がコミュニティとのつきあいを大事にするところがある。たまたま、職場の延長戦でのつきあいを事故よりも大事にしてしまうところに現れるという。都会と地方の違いを言っているのだが、わかったような話だが、わからない。<都会>の中にも<地方>があり、<地方>の中にも<都会>が浸透しているという見方をしなくては面白くない。中沢新一の本のタイトルをもじって言えば(『対称性の文化人類学』・講談社メチエ選書)、「非対称性の世界」と「対称性の世界」の差か。
別の男が言う。「組合というものの堕落だ」と。動労国労潰しの「成功者」が現・経営幹部であるのは知られた事実。組織温存のために当局と手を組んだ結果のしわよせが(たまたま)あの事故として現れたと言う。彼が言いたいのは「組合という団結」の中身が「組合という存在」の方に比重がかかってしまい、鉄道員という職業人としての根性を失ってしまったのだという。ウーム。
●;30年ほど前、73年だったかの上尾暴動を思い出す。ダイヤどおりに運行すると高崎線の上京列車は遅れに遅れる。毎日のような遅れに乗客たちは暴徒化する。1万人ちかくの出勤サラリーマンたちが駅舎を襲い、略奪まで働いた。ぼやっとした記憶によれば、上尾暴動がきっかけで国労動労は大衆の支持を失ったとされた。「暴力分子=国労動労」のレッテルがつけられてしまったような気がする。鈴木邦夫が「この暴動化の火付け人をやった」という武勇談的なHP記事がある。ホントかどうかは判らない。60年代末〜70年代初頭の社会運動に遅れた青年たちが「国労ら=国民の敵」という大義名分を掲げて暴動の先兵をやっただけだろう、と思っている。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2002/shuchou0805.html
「国民の敵」になった彼ら国労動労こそ「赤字国鉄の原因」で解体しなければならない…といった論調が出来上がったように思う。中曽根がその糸を引き、それからは「民営化」にひた走り。そしてJR各社の現在の姿がある。当時の組合幹部と国鉄経営陣がどういう取引をしたのかはよく知らない。
●;当時、真っ黒い上尾暴動の新聞記事を見て感じたのは、「サラリーマンよ。そんなに急いで会社に行くことが大事なのかよ」であった。闘う国労動労諸君と闘わないサラリーマン諸君の断絶。この大きな亀裂はなんだろう、と。