尼崎の電車事故報道(5)

●;「事件報道」(の情報)は消費尽くされる。事故原因追求の「データ」は客観的に(総合科学的に)集められる必要がある。感情的なインフォメーションはもう要らない。すべては「事故の科学」とでもいうべき「インテリジェンス」に昇りつめなければならない。この「データ」→「インフォメーション」→「インテリジェンス」というプロセスが生まれるように!
そして『マッハの恐怖』(柳田邦男)のような遺る作品を手にしたい。