●;抗争する人間(2)

●;「愛国無罪」という見出しが気になる。かつての「造反有理」と同じような用法だ。デモに参加した彼らが「愛国活動なのだから何やってもいい」という風に吠えたように受け取られるが、現地の事情は知らないからいい加減な事は言えないが、あの国で一世を風靡しそうな感じがしないでもない。「否定の肯定」、つまり否定されるような行動も「理」があるという論法、弁証法的な使い方と言うのか、人々の気分(とりわけ若い人々の)を掴まえてしまう肯定力の強さがあるのか。漢字の国、表意文字の国のコトバの力だ。ただ、「造反有理」に比べれば<世界性>はない。世界に遍く拡がったような気配は感じられない。当時は毛沢東思想にいかれようがいまいが、「造反」というコトバにはインパクトがあった。マグマのようなあの時代のうめきが込められていた。<愛国>という民族主義を表すしかないコトバが「世界性」の後ろ、<局所性>しか感じ取れない。何かを変えようという時代の後押しがない。
●;ちょっと違うが、同じ60年代末、東大闘争から生まれたという「自己否定」というコトバが一世風靡したけれども、すぐ消えた。か弱きインテリが無理じいに自分を責め立てている感じはあっても、肯定力の明るさはない。「愛国」もまた、明るさはない。