●;コミュニケーション能力

●;「わいがや」という小さな催しを二年近くやっている。いろんな連中でよってたかって議論しようという試みで始めた。<よってたかって>とは、別に嬲るということではない。その日の参加者の自己紹介やプレゼンの<ことば>を引き出してテーマを決める。興味があるかどうかは、参加した顔ぶれの一瞬の顔つきでわかる。従って参加者には<出演者のつもり>になってほしい。ジャズセッションのようなものを実現したかったし、トークの場のライブ感のようなものを大事にしたかった。あらがしめ結論がわかっている予定調和的な導きはしたことがないし、たまに出てくる自慢男には皆がブーイングする。
●;ビジネス・ネタ中心が「わいがや①」で《それって儲かるの?》が基調となっている。メディア・ネタが中心の「わいがや②」は《なんでなんでだろう》である。ま、「処士横義」というのがコンセプトというか<精神のようなもの>である。(藤田省三の『維新の精神』(みすず書房)から勝手に戴いている)。「〜①」も「〜②」も自己組織的に生まれているといってよい。<横議> だけが値価である。ある程度の約束事以外はフリー、出入りも自由だ。まして押し頂くように名刺を配る異業種交流会のような無様なものにはしていない。ダサイからだ。女性の参加者がないのは、抽象的な方向へ議論を引っ張っていく男どもの観念の力を疎ましく思っているからであろう。なにとはなしにこういった場での彼女らの不自由感というのがわかる。
●;今月は「中国ビジネスの現況」になった。「わいがや①」に初めて参加した中国ビジネス・アドバイザーのI氏に参加者が質問を浴びせるかたちになった。つい昨日まで某中小企業の「中国進出プロジェクト」のアドバイザーを務めていた人が中心になったこともあり、なかなかリアルな応答が出た。が、反日デモが起きる前の日だったが「政治的な論議はやめよう」と制して始めたのたが、ついつい反日事情について解釈したがる人もいた。
進出企業の「成功」の要諦は、中国地域社会(地方の政治権力者=官僚制社会の権力)とどこまでのコミュニケーションがとれるか、その能力いかんという結論であった。当たり前といえば当たり前だが、その日常的なコミュニケーションをどこまでやれるかに掛かっているという話であった。