●;久しぶりに怒鳴る

●;短気な性格の持ち主で、このところだいぶ抑えてきたが久しぶりに怒鳴ってしまった。「バカヤロウ」と。頑迷な人に<不快>になったからだ。事態を構造的に理解できない頭脳の持ち主に対してだ。複線的な思考が出来ない。事が複層しているところを見ない。つまり、「あんた、旧いんだよ」である。ちょっと前のコトバで言えば<旧パラ>である。
哀しいかな、<彼>は通俗的なコトバしか使えなくなっている。放ったつもりのコトバが相手に浸透力していないことを察知すると、くるりと<権力的>になる。こっちが「上」で、あっちは「下」という風に考える。ある場合には「敵か味方か」の党派的なまなざしになる。自分の味方がなにかの具合で「敵」に回ることを想像できない。その逆もだ。従って、しゃかりきになって<逸脱した人>を論難する。時は居丈高になる。<彼>のもどかしさだ。<彼>は「絶対に私は逸脱しない」と思っている。<彼>は同化することを求めている。(いやになるぜ、全く)。
●;近代(思想)が「同一の人物」「同一の私」「一人の人間」に閉塞していったとすれば、他者性という考えを導入すれば、「二人の人間」から出発する「差異の哲学」に依拠したい。個体間に「差異」があるという考えだ。ドゥルーズあたりの浅い理解だが、このことが怒りの支えになっている。どうして「差異」を認めないのだ。ほとんどそこにつきる。