●;贈られた本、『平安時代の年中行事』

●;遅い昼飯をラーメン屋で食べていたら「何を読んでいるの?」と覗きこまれた。「旧い本ですよ。2・26事件の本をね」と言ったら「あぁ、2・26ね」と軽く相槌された。『私の昭和史』(末松太平著・みすず書房)の黄ばんだページを指差した。日曜日には図書館に返さなくてはならない。昭和11年当時の軍や青年将校らをとりまく気分がなかなか実感できないでいる。ただ、ラーメンが出来上がるまでも、眼と体が本の中に入り込んでいたのだろう。そういえば一人で来るこの店にはいつも本を抱えて来る。
その店はラーメンが格別うまいわけではない。「安い」。気楽に大盛りサービスをしてくれる。もうひとつの理由は、愛想のいいウェイトレスの中国人女性を気に入っているのもある。一年ほど前はいたいけな<少女>だった彼女が髪を染め、少し穏やかなふっくらとした表情を作るようになった。彼女も自然に日本社会に馴化していくのだろうが、その変化を半分は楽しみ、あとの半分は心配だ。よけいなお世話だが、中国人としての心根みたいなものを失わずにいてくれよという望みである。今日も顔を横にして笑ってくれた。どこの誰やらわからないオジサンにである。
●;「本、もらってくれる」といって主人が本を差し出した。
「エッ」と戸惑う。
『平安朝の年中行事』というタイトルの本が見えた。カバーはなく上製本、草木色の布に刻印された版元の文字には塙書房とある。研究者が書いたいわゆる学術書である。
「お客さんが置いていった本で、もう3ヶ月経つのに取りにこないんだよ。もらってくれる?」と。
「いやぁ、ちょっと読めないなぁ」と断る。
平安時代そのものに関心がないのと、読んだりする時間もないからだ。「もらってよ」と主人がさらに言う。うん、彼なりの好意の表し方なのだと思い「ありがたくもらっておくよ」と受け取ることにした。帰り際、主人に「ありがとう」のつもりで手で挨拶すると、笑って手を振ってくれた。
●;しばらくはこの本を捨てられない。お客の忘れ物とはいえ、彼なりのプレゼントだからだ。著者は山中裕、大正末の生まれ。東大教授〜といった経歴の持ち主で、岩波書店吉川弘文館などで相当な数の著書を持つとある。初版は1972年、11刷というロングセラーだからなかなかの研究書なのであろう。「まえがき」を走り読みする。