末松太平が描く村中大尉

●;末松太平の名著『私の昭和史』(みすず書房・63年刊)のなかで村中大尉の姿を捜す。磯部朝一に比べれば、強い印象を持っていないからだ。「瞬間タカオカ」を読んでいる友人のイシイが村中大尉が彼の母校でもある旧制札幌一中の先輩だと言って村中のことが記載している「同窓会誌」をくれたが、申し訳ないが「別にぃ〜」というほどのものであった。「こんなに優秀な先輩がいたんですよ」といった程度の記事である。ただ、本の中で弘前31連隊にいた末松大尉に、北海道に帰る折には寄っていたと記されている。磯部については好感を持っていなかったが、村中の記述には尊敬する先輩」という感じがある。機微ということばを村松はよく使っているが、村中の人柄であろうか。
●;西田税の家などで末松は村中に会っている。「温厚な村中大尉」という表現もある。士官学校では末松の先輩にあたる村中大尉が西田税を通じて北一輝の『日本改造法案』にわが身を託する。オルガナイザーの西田税という存在もカギのようだ。大正14年青年将校運動の走りともいえるガリ版刷の『兵農分離亡国論』を著した大岸頼好大尉の<存在>の影響を受けていた末松と、西田を通じて北の<存在>に牽かれていった村中。血気な者は共に畏怖する者に引っ張られていく。おだやかな村中が「粛軍」ということばを編み出し、それが青年将校運動のコトバに移っていく。
●;思えば今日は2.26事件の日、70年も前の事件が気に掛かる。吉本隆明は、糸井重里の対談本『悪人正機』(角川文庫)の中で「今は、2.26事件の時のような気がする」と語っている。当時は疲弊した農民たちを将校たちは憂えていたが、吉本は「不登校生や閉じこもっている人々」を指している。