●;覚えている言葉/メモする言葉

●;末松太平『私の昭和史』(みすず書房)を引っ張りだしたくて屋根裏部屋を探したがどうしても見つからない。住んでいる地域の図書館にはなかった。この名著も見捨てられたか。それでも別の地域の図書館から回して貰って手に入れた。
バカ忙しいのだが、2週間で読んで返さないといけない。そういう決まりだが、亀山郁夫『磔のロシア スターリンと芸術家』(岩波書店)を時間もないくせに読みたくなり、図書館で借りたが、読み切るまでに三週間ほどかかったことがふある。留守電に「早くお返し下さい」とあった時に<公共のもの>をこっちの都合で遅らせるのは、いけないと思った。当たり前のことを注意された児童が叱られてシュンとなってしまった時の気分に似ている。だからこの本は無理しても期限までに返却しようと思う、必ず。
●;村中孝次の<像>を掴みたかったからである。村中の「九千万よりお前らが重たくて困る」という述懐に牽かれたからだ。国家全体のことを考え決起する時に、妻子二人の存在の重みをかみしめている村中の姿を追いたくなった。末松の本の中に村中はどう登場しているのか。そして奇怪な天才児・大岸頼好のことも再読してみたかった。

末松の本の「まえがき」の冒頭の文は、ぼんやりとだが覚えていた。
《笹舟とはいっても、少しばかり意志を持っていた。反骨といったような
ものである。が結局笹舟は笹舟、川を流されてしまった》
「少しばかり意志を持っていた」というところに牽かれた記憶を再確認する。

●;ある人とのメールでのやりとりで、なかなかイーブンになれないでいる。人とは「対等感」を基本にしている。仕事であれなんであれ、だ。その人の「平たい感じ。開かれている存在」がこちらをことの他豊饒にさせてくれる。その人のなかへ入っていけるからである。メールの人とは表面的にはともかく、ギクシャクしている。苛立ちはないのだが、ある<もどかしさ>が身体の中に埋まっていて、真のコミュニケーションを阻害しているのではないか。お互いに何かを隠そうとしている。

R25」の最新号でこんな言葉をみつけた。書いていたのは石田衣良
《人間はゴミではないはずだ。人は誰でも、ある部分で勝ち、別な部分で負ける。
どれほど強運でも才能に恵まれた人でも、必ず失うものがある。また逆に、すべ
てを失ったという人にだって、輝くような時期はきっとやってくる。》
ちよっと「人生手帖」風な書き方が臭いのだが、その人に言いたいことはそれだ。

ゴミ扱いされたことがあるその人は、ゴミの世界からはい上がってきた。その膂力はなかなか凄い。認める。が、「その人の別の部分」を失ったかもしれないという自分への疑いが感じられない。その人の<誇り>、<高貴なところ>、その意志に牽かれたいのに。