●;怒涛の進撃・[05/1/29イベント]後記

●;「怒涛の進撃」とは、所属している団体(www.occ.or.jp)が主催した小さなイベントを煽った時のコトバ。パシリの私は会員諸氏に向けて放った。《「企業OB」と中小企業経営者を結ぶ》イベントには130人ほどの人々が集まり、人数だけでいえば「成功」である。その後記を「会報」にも載せたが、そのバージョンを載せる。
●;私は言葉多い(おしやべりで)感情的な男である。「話す」ということについて松岡正剛(編集工学研究所)が佐治晴夫(宇宙物理学者)との対談で記している(『二十世紀の忘れもの』・雲母書房・99刊)。
《私にとって「話す」とは「放す」ことであって、また「離す」ことである。また私にとって「知識」というものは、貯めるものであってはならず、通すものなのだ。いつもいつも放逐し、解放し、ディスチャージしておきたい。これが私の編集哲学である》と。
「放す」とか「○○を離す」イベントが実現出来ないものかと(一瞬) 考えた。「何を離す/放すのか」。これまでの「組織のありよう」を壊すのである。チェンジするのである……こういうなんともとれる意味不明のイントロダクションで始まる<私>を亡くなったある人に「ムツカシイ、文学的だねぇ」とからかわれた。ま、彼の言語圏とは違う物言いをするからであろう。腹の底で「あんたとは違うんだよ。ブンガクなんかやってねぇよ。組織イメージが違うんだ」と、言った。さまざまな言語が違う人種の集まりがこの組織のいいところなので「あんた流の、お気に入りの単色で染め上げたり、世代論で斬ったりする」のが全くのダメ。「人種の壁」を自然過程的に作られてしまうところをえぐらねばだめ、と。「組織の敵」は誰かという名の固有の「人」ではない。スターリン主義スターリン個人の資質によるものではない。開かれていない自分、壊されない自分を守ってしまうのが敵である。マーケットという他者、外部という名の知らない人種の人々が壊してくれる。そこへ向かって進む契機が「05/1/29イベント」であった。
●;イベント実行組織のイメージを登山パーティに模した。ポーラーシステムの登山である。設営隊、受付隊、呼込み隊、アテンド隊、シナリオ隊などとネーミングした。パーティ組織を束ねなくては頂上には登れない。また、登ったとしても、つまり○○○人が集まったことだけで満足しきっているのは全くダメで、下山、登頂のあとの撤収、つまり「次」のアクションプラン、パフォーマンス、仕掛け、作戦を考えつかないのでは登山隊を棒立ちのまま壊滅させる。
●;「このイベントにはセレブがいない」との指摘があった。スルドイ発言をいつもする人の声だ。半分はズバリである。「華がないねぇ」などの当たり前の意見としてではなく「中心の不在」を言い当てていると解釈した。ならば「何をセレブにするか」。メンバーのサジェッションもあって「交流会」を《中心》に据えた。そこまでの間、話者が放つキーワードを貯めるだけ貯めようとした。私らより若い講演バッターを推薦した。何度かおしゃべりをして「放つ」という点でかっこうの人と思えた。当然、その言葉には勢いがあり、なにはともあれ熱意がある。
●;聴衆がキーワードという刺激的な前菜を腹の中に収めたのか。ビルを探し歩いて来たお客を(気持ちよく)会場へと案内するフロントマンの役割(パシリ役)をやっていた(やたらとタバコ・エスケープする不逞な係ではあったが)。講演やパネルディスカッション会場の空気を感じ取っていない。《中心は交流会》としたにしては、会場が拡散してしまう空間であったのは否めない。ホスピタリティ精神で「客を、客と客を」気持ちよく繋ぐことに徹してほしいとなんどもアジった。果たしてどうだったろう。参加者に伝わるのは「よかったという気分」である。その気分のみが波動する。伝播する。その波が私らに跳ね返り、(これまでの)組織に変容を強いる。