●;古井由吉さんに会う(3)

●;本を買った客に書店が要請していたのはカードに「○○○○様」とあなたの名前を記入しなさいというやり方であった。「著者にお名前まで書いて貰うんですよ」というサービスだが、ちょっと過剰である。自分の本がたっぷりと売れることを望む著者であっても「そこまでサービスする必要ない」というのは私の意見。たしかに売上が大事だが「そこまで要求すんのかよ」である。書店が尊大になってはしまいか。
店側の司会者が著者紹介した時に「自分は文学者としての古井さんというよりも、ヘルマン・プロッホの訳者として知っていた」などと語る。余計である。「<自分>がただの本屋ではありませんよ」と言いたげである。さもしいぜ。ただの本屋でいいのだよ。よくある手合いだなぁ。出身校や出身企業を自慢する安手の連中をよく見かけるが、<私的なこと>を<公的な場>ですり替えるな。誰もそんなことを聞きたくない。こんなところに真の意味で著者を大事にしない心根が現れている。「バカめ!」。
●;古井さんはどんなお客にも丁寧に名前を記していたのだろう。だから、時間がかかる。自分の番が回ってきた。受付で「お名前はどうします?」と促され逡巡しつつも記号的に名前を記していたが、順番が来てその小さな紙を係員に求められる。なんかいいのかなと思いつつ、本の間に入れて差し出す。
古井さんが他の読者と同じく紙を視いる。そして私の顔を見る。いや、古井さんはこのサイン会ではどんな読者にもじっと顔を正視していた。<眼の記憶>(古井さんが言ったことばだ)を手繰っているようだ。
紙片を見て、一瞬の間を置いて「やぁ」「あらっ」ともつかぬ声を放つ。そして<私>を包むなんとも柔らかいほころぶ表情があった。
「ごぶさたしております」、私は頭を垂れる。
「お元気ですか?」と声。<私>をいたわるようにだ。この<優しさ>はなんだろう。
(自分も歳をとったのだろうな。傍からみてもわが顔には老醜が滲んでいるよな)。
大きな字で<私>の名前を書き「古井由吉」とサインされた。極端に右上がりの癖のある字だが、跳ねるような勢いがあるとも感じた。「ありがとうございました」と一礼して下がる。<実に実にありがたい>。
●;インタビューする井出君とタバコ室で一服。
「『野川』とか古井さんの比較的新しいもの何冊か読んだけど、むずかしくってね」と彼。
「うん、俺も何冊か買っているけど読み通したものはないんだよ。古井さんって一行一行で読み手を立ち止まらせてしまうんだよね」(これはほんとだ。読者に思考を強い、想像力を掻き立てる)。
井出君は国家を背負った文学者・漱石や鴎外、国家に背を向けた荷風らと対比して、現在の古井さんの作家たる意識を引きずりだしたいようなことを喋る。よくわかんない。井出君のモチーフも分からない。近々、図書新聞に載るからそれを読めばいい。