●忘年会会場を決める

●<スター>の登場日がなかなか決まらなかったせいもあり、会場の「決定」がやや遅れた。もっといい場所があるに違いないのだが、探し歩いている時間もなかった。結局は行ったことがある店にしようとした。神保町で<いい店>のいくつかは<スーザン>と読んでいる女性から教えられた。彼女の推薦した店でハズレはなかった。<スーザン>と読んでいる女性は、女優スーザン・サランドンから取った。90年に公開された「僕の美しい人」の誇りを失わない主人公を演じた。43歳のウェイトレスのスーザン・サランドンは、年下の広告マンに懸想される。ひっかけられたようなものだ。年上ということもあり、彼女は本物の恋かどうかを悩み、怖じ気づく。ここらあたりの恋に打ち震える女の健気さとプライドの突っ張り。しかし、断じて失わないのは<誇り>。観ていて応援したくなる心地よいラブ・ロマンスだった。わが<スーザン>も、二児の母。<誇り>を失わない女性である。
神田小川町の「丸林楼」という中華料理店に行きだして三年、かな。仕事場近くのどうということもない店で、きれいな店でもなんでもない。いかにも安普請のくすんだ黄土色した小さなビルの一階に店はある。店の内装には金をかけていない。ダサい。テーブルも椅子もどこかで拾ってきたようなものを集めたようだ。駅前か盛り場の屋台風の造作である。偶然、行き始めた頃には、なにか暗い感じがしないでもなかったが、料理がうまかったことと、しばらくして女店長の存在が気に入って来た。いくつだろうか。年の頃30近い細身のポキリと折れそうな華奢な女性である。彼女はいつもシャンとしている。客である私らの壁を一線を簡単に踏み込んで来ないし、また、彼女の側の壁を超えさせようともしない。どことなく感じられる<恥じらい>の風情は<誇り>そのもののように感じられる。「いらっしゃいませ」とか「ありがとうごいました」の語尾にも、つまりその声質に作りがない。媚が含まれていない。
中国から来た人らしいことはすぐわかったが、いつか「どこから来たの?」と聞いたことがある。ちょっとぶしつけだなぁと後で恥じ入ったのだが、その時は「香港の近くです」と言った。ホントかどうかはわからない。その時の彼女の答え方にこっち側が彼女の身体領域に侵入する意思を確かめるような警戒心がちらっとあったように感じた。うごめいたものがある(ように感じた)。まだ、こっちは信用されているどころではない単なるオヤジたち。彼女が背負ってきた<何か>が私らを拒否していると感じた。よけいに一種のファンになった。
●その店を忘年会会場とした。引っ込んだ場所にあるせいもあって予約は一件しか入っていない。「10人は約束する」と言った。メールなどでのプロモーションに入った。さすがに12月、呼びかけた人間たちは皆、忙しい。当たり前である。会いたかった遥か年下の男の「×です」のメールが結構あった。是非もなし。