● 貧すれば鈍する(1)

● 大学1年生の時、自分の家までオルグに来た男がいた。活動家として目を付けられたらしい。大学の一種の民主化運動のような大学当局に対する反対運動が起こっていた。こっちは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった程度の参加意識である。指導者たちは、当然にも「学生運動」の成果を「政治運動」に運ぶことが当然であった。自治会を我が物(予算を握る)にすることであり、運動に参加しためぼしい人間から活動家を何人作るかが課題であった。
たまたまの集会などに参加した口ではあるが、おっかなびっくり覗くという程度の関心である。大学と右翼学生らのミエミエの野合ぶりは「ちょっとひでえな」といった感じを持ったが特別な深い考えもない。怖いものは見たいけれど自分の身にかかる時はさっさと逃げよう。いつでもとんずらすることを準備していた。

「活動家を作れ」などと幹部に指示されて来たらしいことは後年わかったが、わざわざ家まで訪ねて来たその男に素っ気ない態度をとった。断る理由をもぐもぐとしゃべった。要するに熱中する気がないなであった。大学の民主化や同級生の一部が言う「社会主義的な世界」よりも興味があることが別にあったからだ。それは自分に対する関心である。自分の身体的な<不全感>を処理することでせいいっぱいだった。大学には入ったものの「エッ、こんなこと詰め込まなきゃ職業につけないの?」であり、そんなことよりも<ある自由感>を求めていたのかもしれない。大学そのものに興味も執着するものがなくなった。

後年、やっとこさもぐりこんだ職場の仕事で出歩いている頃に、その彼と偶然接する機会があった。「おう」と言われてもろくな返事をしなかった。彼は、その時も家父長的な物言いをした。一浪だか二浪だかしていて年長のせいもあるが、その言い方は「断ったこと」をこっち以上に明確に覚えていて、恩ぎせまがしい。オルグに来たこと自体になんらかの優位性を確保しているような言い方をした。「イヤな奴」である。商いの確かさを吟味するよりは担保を取ってからでなければ金を貸さないような奴である。「あんたには貸しがあるよ」といいたげであった。こっちは借りたつもりはないから適当にあしらった。