● あるドキュメンタリー

● 『遺された声・ラジオが伝えた太平洋戦争』(NHK衛星・再放送)を見る。今年3月の放送記念日に放映したものだそうで2時間30分ほどの長いドキュメンタリーであった。深夜だったが最後までつき合う。情報量が多かったせいである。
新京にあった満州電電が放送した録音版(レコード)2,000枚を基に番組は作られている。(二十年ほど前だったか、NHK放送博物館に遺されていた「2.26事件の盗聴記録」を再現した番組を思い出した。北一輝西田税ら右翼イデオローグをはじめとして青年将校や陸軍上層部らの肉声を陸軍は盗聴していたのたが、番組はその盗聴を再現し生きている当事者、関係者に聞かせる。過去が蘇るというやつである。「戦前・戦後」の民衆の生活を追いかけていたプロデューサー氏から「見てくれ」と言われた。末松太平『私の昭和史』や澤地久枝『妻たちの2.26事件』が評判になっていた頃か)。

ニュースフィルムの断片やドキュメンタリー番組でラジオ放送のシーンを繰り返し見せられた。ヒトラーの肉声を活用したナチスの宣伝相ゲッペルスの手法や、開戦を告げる大本営発表官の金属的な声とか、終戦を告げる天皇の<生き神>詔勅とかを映像で繰り返し見た。いずれも非日常的な遠い声である。「非日常的な」声を送るラジオ。黙ってうなだれ聞いている<受け手>は操作される下位の民衆は、メディアによって権力の持ち物、権力の物語のフィクショナルな存在となる。

満州国新京放送局の「録音レコード」は、満州「国民」に向かって最後の演説をしたと言われる武部六蔵満州国総務長官の声。いかにも傲岸な高給官僚らしい野太い声であった。満州国文化政策の推進者であった満映理事長・甘粕正彦の無機質な声とか、近・現代史のひとこまが近づいて来る。

番組で面白かったシーンは、満州国特別攻撃隊員の遺族(弟と妹)が、何十年ぶりに兄の声を聞くところ。兄の肉声を聞いた年の頃70歳近い気丈そうな妹がいう。「立派ですよ。立派ですよ〜」と何度も強調した(弟さんはため息をつき黙っている)。今時の若者たちに比べれば〜立派ですよと彼女が捉える現在の風潮について対抗的になる感じを受けたところは一種の<保守気分>であろう。戦争中であれば「天皇陛下のために立派に死にました」と堪えて言うところであろう。今はそうは言えない。<天皇>はどこかへ消えてしまったのだから。死んでしまった兄を評価する基軸が消えたしまった。その<もどかしさ>のシーンが印象に残った。