●『60年代が僕たちをつくった』

●人に勧められて小野民樹『60年代が僕たちをつくった』(洋泉社・04年)を読んだ。気恥ずかしいタイトルだ。「おめぇ、よくもまぁ、そんなタイトルつけやがって!恥ずかしくないのかよ」と友達ならケチョンケチョンにけなすところだ。装幀もひどい。二流以下だ。でも、5000部作って完売近いというから大したもの、「本の力」だろう。

その版元氏と酒を飲んだ折に「七字英輔を知っているだろう」とも聞かれたので「あぁ」と返事をした。版元氏が七字という変わった姓の男に拘ったのは、その本に七字くんが副主人公(でもないが)として登場している。本は、都立西高校の同級生物語。著者は岩波書店の現役編集者で一二度会ったことがあるが、たぶん、私のことなど忘れているだろうが、彼が担当した「岩波現代文庫」は、いつのまにかけっこう買っている。最近では糞みたいな「岩波新書」よりは多くなった。
聞かせたかったのは、ゴールデン街の飲み屋で偶然出会った<七字>という姓のサラリーマン氏が七字英輔の実兄で「弟のことを知っているんですか」と、うれしそうに?その兄が自宅にいた弟を呼びだす出来事があったらしい。何を話ししたかわからないほど酔っぱらったという話を私らに聞かせたかったのだ。(後日、パーティで出会った七字くんからも版元氏のへべれけ状態を聞いた。別に迷惑がってはいなかった)

飲み屋での愉快事であれ不快な事件であれ<出来事>を人にしゃべたい。この動機を詮索すれば、まぁ、よくある「武勇談」、たわいもない自慢話であり(この「日記」のように)、日常的な出来事の愚痴などを親しい人に言うときがないわけではないが、そういう己が醜く見える。ならば化粧して自分を飾り立てたい。劇化してみたい。見栄を張りたい。そんなところか。他者を通じて<非日常的>な出来事を再活写してみたい欲望でもある。
さらにあくどく言えば、版元氏か私との共通項をみつけるためにとっさに用意したのだろう。長いつきあいだがお互いに「共有感覚」が失せている。版元氏はそのことを無意識でも察知したのかもしれない。難しく言う必要はない。酒の肴である。

さて、その本。よく読めた。その点では面白かった。教養ノンフィクションを意図したと小野氏は冒頭に書いているが、団塊野郎のナツメロ本というそしりも後の世代やイデオロギッシュな頭固い連中からは生まれるだろうが、七字くんも含めて知っている登場人物たちもよく書けていた。フムフムと頷いたりした。「同時代に生きる気分」(川本三郎)のようなものを感じ取った。