●あるパーティ

●40年近くの編集者生活を終えて「晴耕雨読」を始めるというある先輩の「退職を祝う(ねぎらう)パーティ」に出る。場所は「市ヶ谷・アルカディア」。無類の働きものであるこの先輩から可愛がられた記憶がない。むしろ、軽くあしらわれていたから(たぶん知力の面で)お世話になったという気持ちは薄く、出席することには腰を引いていた。顔見知りの何人かはいるだろうから、「ま、行ってみるか」という程度で出かける。

大きなパーティ会場はこの人のつきあいの広さを物語っていた。知り合いの編集者が「俺がこんなパーティやったら30人も集まらないな」と言っていた。配られた小冊子がよく出来ていた。「惜春譜」というタイトルにはいささか「ゲッ!」てなものを感じたが、オオデさんという編集者の過去の切れ切れの一文が入っていてよく読めた。編集がいいものはすんなりと読める。有名な物書きに接した時の話は芸談のようなもので「フムフム」、「アッ、そうなの」程度だったが。

京大を出てジャーナリストになろうとしたが失敗。朝日新聞の面接では笠信太郎だったそうだ。たぶん、「草の根運動的」な動きに加勢されたのだろうか、出身地の因島に戻る。そこの中学教師になる(確か奥さんは教え子と聞いた)。60年安保の余波が田舎町にも起きている頃、「学級新聞」を作る。「小さなジャーナリズム」の時代だ。地元の中学生相手の新聞に東京の書き手に頼む…ここは凄い。何年か前、因島に旅行した時に日立造船の工場があったが、その「学級新聞」のガリ切りは、そこの組合員に頼んだそうだ。その新聞を読んでみたいものだ。

オオデさんは、京大時代に谷川雁の一文に惹かれる。「学園評論」という雑誌だ。清水哲夫もそこで書いていた。惹かれるのはいい。が、雁氏らに会いに行ってしまうところがわからない(一種の追っかけだが)。オオデさんが、雁の「サークル村」運動に影響を受けていることを隠さないのがいい。彼の編集生活の方法論が「サークル村」だということを知り、そのことにいささか驚き、ちょっと見直す。