●神保町一丁目三番地

岩田宏の詩「神田神保町一丁目三番地」という詩句を明確には覚えていない。路地といえば、吉本隆明の詩句のなかの「路地裏」とこの詩がガチヤンコになっている。戦後まもなく、岩田が勤めていた出版社がどんなにひどい会社だったか、幾分かは想像出来る。たぶん、今でも続いているあの老舗出版社だ。この路地裏はそんな怨みが積もっている。経営者だけに刃が向けられたのではない。隣の<ユウジン>にも振り下ろされた。才能のあるなしは、同世代の「人」を決定的に分かつ。怨嗟というしろものだけでなく、ユウジンに嫉妬している自分を見つけただけでイヤになるものだ。

自分の手が届く人、とてもとても届かない圧倒的な存在の人。早く有名になった人、その出世をうらやむ人などが当然いる。そのひしめきの象徴が「ランボー」という酒場であったらしい。それを知ったのは、埴谷雄高のエッセイなどだが、なにもかも飢えていた彼らが、相対的に豊かになって行くにつれ、「ランボー的」なたまり場は、新宿へ(銀座人種はまた別)。中央線文化人の登場である。編集者たちから奢られることをよしとした作家、評論家、学者たちの溜まり場がいまでも姿かたちを変えてある。

11時、その路地裏の喫茶店ランボー」のあったところ「ミロンガ」で待ち合わせ。少し遅れて来たタカハシ君としばしの会話。「中国の人治主義」、「大手小売業の細部へのこだわり」、「ロジスティクスの重要性」などについてぼやっとしか知らないことを教えられる。来週、再度会ってくれるように頼む。ちょっと虫が良すぎると思うが。