●やつかいなメールの処理と

●先週末の三つの会議の「議事録」を書く。チェックしてもらうために責任者宛に二篇を送付。もう一つは、すぐメンバーに送るが、「しまった!」
前の「議事録」で出席したある人を削ってしまい、「私も出席していたのですが」とメールをもらった。すぐさま謝ったが、今度も前の「議事録」をコピーしてかき込んだ。出席者は、前とほぼ同じだったのでそのままにしておいた。いけねぇ。書き直して再送する。
「議事録」ではなかったが、メーリング・リストでの「報告」である人を記述し忘れたことがある。「私なんか、存在感がないすらお忘れなんでしょう」というメールをもらった。「相当に嫌味な野郎」である。相手のミスにつけこむのがうまい奴である。こういう類にびくついていてはこっちが消耗する。

昨日もらった別のメールの返事をしていない。ちょっと重たい。二度ほど話をしたら「決定してくれないか。もしくはしたんでしょう」となった。「ちょっと待ってくれ。こっちの事情もある」と言いたいのだが。喩えとしては正鵠を得ないが、一二度会っただけで「つき合ってくれ。結婚してくれ」と迫るような男(女)のようだ。いや、男女の仲ほどのパーソナルな問題ではなく、ソーシャル・コミュニケーションの問題。ただ、共通するのは<思いこみ>の強さのところ。「違うんだよ」と説明すればするほど、言葉が多くなる。そしてコミュニケーションが難しいから問題を避ける。相手とも通じなくなってしまう。やがて小さな食い違いが悪感情を募らせ、憎悪に至る。うーん、明日に持ち込む。

友人からの連続的な時務情勢論的なメールに「サッカー、中国の反日感情」の問題があった。回りくどい言い方の持ち主で、相変わらずとぐろを巻くような反芻する文体の持ち主からだが、「反日感情といったものが、自己のなかに入ってきたら、距離を取り相対化してみよう。それをじっくりと見つめることが大事だ」とあった。相対化とは距離のことか。空間的(場所的)距離、時間的(歴史的)距離ねぇ。