●無責任体制が生まれる訳

●昨日のこと。ある自動車メーカー出身の人とおしゃべりする機会があった。当時、いつ倒れるかと囁かれた会社である。私なんぞは、全く知らない巨大な会社なので「へぇー」というような話もあった。要するに「社長や会長はいても経営者がいなかった」というのが結論であった。サラリーマン社長ばかりだったという。別の人が「あの会社は、オーナーシップがなかったのだ」という。「オーナー」ではなく「オーナーシップ」とは、《世界一のクルマメーカーになろう》という強い意思のことか。

天皇制国家の無責任体制」(の理解)は、抽象化された《天皇》という空っぽのハコがあり、そこから発するフィクションとしての「声」(それがご真影だったり、部下にむかって「天皇陛下のご命令」を連発した上官とか)を頼りにした。それとアナロジーできるかはわからないが、相通ずるものをなんとか見つけたい。

そのクルマメーカーが立て直されたのは、《強い権力者の出現》である。彼が「中心」となったからだと言われている。彼の権力を支えていたのは資本(家)である。ロスチャイルドだという話だ。それまでの経営の「中心の不在」は、世界の果てまで自社のクルマを走らせようという強い意思、貫徹しようとする精神であったとすれば、「中心の座るべきもの」は単なるヒトではなく、世界精神の体現者である<人>であろうか。