●休みの日は介護施設

●毎日曜日。母親が滞在する特養老人ホームに行く。車で行く時もあるが家から30分ほどの自転車旅行もいい。街並みや家並みを自転車で通り抜ける。商店街もいいが、路地をくぐり抜けて進むのがいい。豪華な門構えの家もあれば、今風の瀟洒な家もある。そして鬱蒼とした樹々に覆われた家は<老い>が沈んでいるのか。

ホームでの滞在時間は短い。介護度が高い母親と<会話らしきもの>が出来ないせいもある。二三度、名前を呼ぶと遠くから引っ張ってくるように「ハイッ」という答えがある。それがこっちの安堵に繋がる。その程度だからこっちも所在なく去ることになる。収容されている人では男性よりも女性が多い。時々発表される「平均寿命」の差かなとも思う。家族の訪問がない(ような)人もいるようだ。いつかは「息子を呼んでくれ」とせがむ人がいた。「玄関に来ているから」とも言われた。こういった時には返す言葉がない。明るい真新しい施設で働いている人々も丁寧だが、病院とは違う<いたたまれなさ>がある。それは治癒を目指す「病院」と「介護」の違いだろうか。

「病」は生還をめざす。病院の始まりが野戦病院であるように生還者は戦場へ戻される運命だ。(病院で死ぬことはあってもそれは例外だ)。介護施設は<ゆるやかな死>へ向かう場だ。彼や彼女は生還することはない。