●「不快」の理由

●電話の声には聞き覚えがあった。「私の携帯におたくの人が電話くれたようだけど、どなたでしたっけ」だった。ある会社の社長からである。「ちよっとお待ち下さい。確かめますから」と保留にする。「おーい。○○さんに電話した者がいるか?」と回りに声をかけるが、声がない。「すみません〜」と謝ろうすると、誰かに営業的な電話をしていた者が「あっ、それは私です。かけ直しますからと言って下さい」と。

しばらくして、社長との電話の会話が聞こえてきた。彼の声はやや甲高い。声質は余り好きではない。彼が、先日の小パーティでその社長と一年ぶりかに再会していたようだ。一年以上も前になる。その社長の依頼めいた話の席に同席したことがあった。私が全く分からない領域のことなので席を一緒にすることもなかったのだが、行きかがり嬢上、席にいただけだったが、話は「不成立」だった。話の後に彼が言うセリフが気に入らなかった。「あいう社長は、カネの話を最初からしない。カネを払わずにチエだけ取ろうとする気だ」といってのけた。「エッ?」という答えだった。社長の前ではへいこらしながら、後になってそういった発言をする気がしなかったのだ。あ、俺とは違う人間なのだな、その時は思った。彼のそんなことも忘れていた。

「何か、電話くれたんだっけ」というような社長の声に、彼の応答。「この間、お会いした時にうちの事務所に顔だしてくれと言ったじゃないですか?」。「だから〜」と続く。「じやないですか?」の声とその質に不快になる。「〜じゃないですか?」という会話があるのを知ってはいたが、あっ、これはダメだと思った。こうしう会話をする者は営業もへったくれもない。

「社長が言ったじゃないですか?」と言ったとたん、彼は社長の側に「責任」を押しつける。<私が電話したのは、社長が言ったからですよ>という言質を取ってから、会話を続けようとしている。<自分の責任>を棚上げにしてだ。とんでもないディベート野郎だ。言ったかどうかは忘れているかもしれないという人間としてしか相手を見ていない。人は、気軽に声をかけたり、リップサービスまがいのものをするかもしれないということを知らな過ぎる。こいつはダメだ。

他者を受け入れる以前に自分というものを確保する。自分の責任の範疇、自分の絶対を信じている。だから「〜言ったじゃないですか?」と相手に責任をおっかぶせる。私が電話をしたのはも、あんたが言ったからですよ、という訳である。こういう連中とは仕事も会話もしたくない、と思った。他者との関係の作り方の問題だ。

「〜じゃないですか」の一般を否定するのではない。「〜と言ったじゃないですか」との間には、大きな隔たりがある。前者は、私でも使う時がない訳ではない。だが、たかだか電話のやりとりでは使わない。まして、仕事関係では使わない。なぜなら、顧客は気ままだと思っているし、たえず人間は変容する者と思っているからだ。つまり、「自分を守る」ことをまず確保してから(仕事であれなんであれ)相手とつきあうことはしない。