●郊外の駅に降りる

●飲みに誘われたのだが、生憎とある人との打ち合わせが長引いたので後から行くと返事した。携帯で連絡すると、二人は家近くで飲むという。ある私鉄沿線の駅前だそうだ。思わず「俺、行くよ」と応答する。打ち合わせ結果(感触を得た程度の報告だったのだが)を伝えたかったのもあるが、その駅名を伝えられた時、急に行きたくなった。

その駅前で最初の職場の上司が「ラーメン店」を開いている。手作りラーメンで、今はさほどではないが、「こだわりの手作りの店」というのが謳い文句だった。ただ、その人の性分なのだが、ラーメンについても理屈過剰のあたりが職場に居た時から好きではなかった。どこ押しつけがましいのだ。通俗的なことばをもったいぶって言うセンスがダサかった。彼の生い立ちと私のそれとの違いではある。同じ<貧しさ>の時代の児でも彼の上昇志向と私らの上昇志向が違っていたのだ。彼のハングリーさにはは何かせこくいものが匂った。自分の利を第一優先するということと言ってもいい。

今から思えばたいした差はないのだが、若い時ほどちょっとした違いだけで遠くの席に座ったままになっていることは多い。たぶん、そんなものだ。

彼が何年か前に開いた店には彼のことを嫌った人も訪ねていてラーメンをごちそうになった話も聞いたが、その沿線を利用する機会がないこともあって一度も訪れたことがない。憎悪しているわげてはない。ただ、一度嫌ったことがある彼との関係を曖昧にしたまま「先輩!」とか言って訪ねたくはない、ただそれだけだ。

二人と合流、少し飲んだ後、三人でその店を訪ねる。ただ、10時前だというのに店は閉まっていた。「なんだ、畳んだんじゃないの」と連れはつぶやいた。そうではない。閉店時間が早いのは彼流の何かなのだ。店のたたずまいはお世辞にもきれいとは言えない。回りが汚いというのでもない。店はやることはやっているだろうが、客のために開いてるという感じがしない店だ。精気がない店といってもいい。これが(たぶん)彼流なのだ。自分はこだわりのラーメン店で、そんじょそこいらの店とは違う。食べさせてやっているのだと、店主が主張している。「たかがラーメン」でいいのに、「されどラーメン」と言っている。「ただのラーメン屋のオヤジではない」と世間に向かって言っている。客よりも自分とのモノローグが多い店。そんな店はどこかでよく見かけたから、「あぁ、彼もやはり」と納得して家路についた。