●;会社を辞めた男、三人に

●;定年で辞めたある男を人材会社に紹介した。二度ほど会っただけ、正味2時間ほどしか付き合っていないが、なにがしかのサービスをしたくなった。人材会社の世話である営業会社の面接を受けることになったと知らされ「それはそれは〜良き事」「気楽にがんばれよ」と言い、世話してくれた人材会社のなかなか気持ちのいい人にもお礼の電話を入れた。全てが「○」のように思えた。しかし、おっとどっこい。世の中、甘くはない。結果は「×」であった。報告する電話の声の奥に皺のような嗤いがあった。「戦線を整備して<戦闘的に>にやってね」と口ごもる。(二三日前、三上治宮崎学トークライブで宮崎学の談話の端橋々から感じ取ったのが<戦闘的に生きる>であったから使うのだが)。<戦闘的>とは、一人で戦うという意味だ。
●;定職を得るなり臨時の仕事をゲットしようとする時に限らないが、向き合う相手が自分の背丈より大きかったりする場合に、手がかじかんだり、ヒヤ汗が背中を流れたりする。オーバーに言えば呼吸困難状態にもなる。卑屈は身体の変調を促す。その拠って立つ卑屈感を制御しようとして<こころ>が逆流して思わぬ尊大顔になった(らしい)経験がある。相手側が極めて制度的な思考の持主が何がしかの抑圧をこちらに強いる場合は、テーブルを蹴っ飛ばしていい。ひとときの快感も得る。が、なまじその大きな会社に幻想(あるいは会社存在への恐怖)を抱いている時の敗北感というやつ、惨め感は身体に残る。彼はどうだったか。
●;馴染みの蕎麦屋で旧知の男と会う。永いつきあいの業界友人である。いつかその店で会った時には社長宛の辞表を胸に入れていたという。3月31日が35年勤めた会社の最後の日、その日にまた蕎麦屋の遅い昼飯に出会うのも縁なり。辞めた理由の核心には触れぬようにして「そんじゃ、またな」と別れる。
●;4月1日、遥か年下のある男に「会社は今日で終わりました」と伝えられる。多少の予想はしていたものの、やはり「エッ」である。やけにタバコを吸う、私。しきりに<彼>の「次」を考えようとする。リップサービスになるのだがと断りを入れて「<彼>の次のプロジェクト」を推進しようという気になる。そのプロジェクト化が「おもしろい」からである。知り合ったばかりの社長や専務の顔を思い浮かべる。自分が<戦闘的>になれるかどうかにかかっている。