●村中孝次のことば(2)

●;「九千万よりお前ら二人が重くなる」ということばを拾ったのは、藤井康栄『松本清張の残像』(文春新書・02年)の中、「九千万」とは昭和初年代の人口で「一億一心、火の玉となって」などなどの国威発揚スローガンが連発されたのは九千万を四捨五入したのだろう。
村中孝次が「<民>よりもお前ら(妻と娘)の存在が重たい」と述懐したと伝えられているが、村中の日記「丹心録」などを読んだ藤井さんが「旧制高校性的」と評しているのがなにとはなしにわかる。<全体>のために潰れてしまうかもしれない<個>について、一瞬の躊躇があったと考えれば「悩める青年」であったという解釈が出来る。村中は磯部浅一らと「青年将校運動」のリーダーであり、オルガナイザーであって二人とも北一輝西田税らと共に死刑に処されている。磯部は自分らを見殺しにした昭和天皇への呪詛(戦後発見された「獄中記」で知られる)などで梟雄のイメージがあるが、「丹心録」などを読めばいいのだろうが村中の<像>が掴めないでいた。
●;「青年将校運動」のリーダーたちで強い印象が残っているのは大岸頼好である。末松太平『私の昭和史』(みすず書房)の中に出てくる魅惑的な軍人で、三島由紀夫が大岸に興味を持ったと何かで読んだことがある。三島は末松太平と対談しているから、その時のことばかな。対談が掲載された雑誌のバックナンバーを探すか、『三島由紀夫全集』を紐解けば(持っていないが)彼の関心どころわかってくるだろう。
●;末松の本を読んだ頃にどうして大岸に惹かれたのか。末松の本を引っ張り出して再確認してみる気になった。大岸はたしか宗教的な存在者になっていく。<天皇>を超える存在へ傾斜していく。現実の運動よりも一種の精神革命の運動者になってしまう。それが法華経の世界、日蓮宗なのかどうかも忘れているが、剛毅な末松大尉たちに影響を与えたところ、詳しくはないが60年ブントの指導者にもそんな人がいたような気がする。<頭のいいやつ>は、先へ先へと世界に関係しようとしてかき進む。大岸の遺文、末松との書簡を集めた自費出版物があるらしい。『末松太平 大岸頼好 遺文』という本で、有料の貸し出しだそうだ。
http://www.mmjp.or.jp/jst/index/jst09637.htm