●ドキュメンタリー「ハンナのかばん」

●;土曜の朝、NHKBS1の「BSドキュメンタリー」でカナダ国営テレビ局制作の『ハンナのかばんHanna’s Suitcase』を観る。今、ちょっとばかりユダヤ民族あるいは反ユダヤ主義の形成史に興味があり(というよりも世界史の始まりの部分に)、『ホロコースト産業』(三交社)という本をつまみ読みしている。途中で(昔、読んだつもりでいた)別の本『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン/山本七平訳)を屋根裏部屋から引っ張り出したりと、横道に入ったり路地でしゃがみこんだりしている(いゃあ、何も読んじゃいなかったな)。
その本の帯は《いまや米国ユダヤ人エリートのためのイデオロギー兵器、政治的・経済的資産と化した「ホロコースト産業」の知られざる実態と背景を暴く》となっている。著者はノーマン・G・フィンケルスタインというユダヤ人研究者、彼の両親はワルシャワゲットーから強制収容所体験者だという。ホロコーストを告発する主体が<制度的なもの>になってしまっていると指摘している。
●;その本が頭を掠めていたこともあってTV番組を眼に止めたが、番組のクォリティとしては「☆」三つ行くかな。収容所で死んだ少女が持っていた<かばん>を日本に取り寄せ子どもたちに「ホロコースト」の実体を啓蒙教育しているのが石岡史子さんという方でえらい英語がうまい。帰国子女かな。NPOホロコースト教育資料センターの代表を務めているらしい(www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/ )。番組の結論が予定調和的になっていてつまらない。結論が透けて見える作り方がメロドラマである。カナダ人女性『ハンナのかばん』の著者(ポプラ社刊・石岡さんが訳者)の、石岡さんが見つけたハンナの実兄(カナダ人)らが、「平和」を語り継ぎましょうといったトーン。善意にあふれている人々によるプロパガンダ映画の図式がミエミエ。
●;事実を「編集化」してコードに乗せられたものが「事件」である。その「事件」を物語化するには<象徴>が必要である。例えば、ホロコーストのヒロインにアンネ・フランクがいるが、彼女の<像>は<いたいけのない少女>、彼女の<像>を通して「収容所」を想像し、収容所の中にいる<アンネの像>を共有しようとして口々に喋りだし、共同意思を形成していく。
象徴は伝達形式のひとつだが、この番組の象徴は<かばん>である。番組の中で興味深かったのは、石岡さんが発見した<かばん>は複製だったということ。そこをもっと突いた取材と批評を行わない作品はダメである。石岡さんがホロコーストに関心を持ったモチーフが伝わってこない。彼女は<かばん>を発見し保存する。<象徴>の発生である。が、アウシュビッツ博物館がイギリスのバーミンガムに出展した際、放火で(ここもおもしろい)展示物を焼却する。石岡さんに手渡されたのは<複製のかばん>である。しかも「複製ではないか」と疑いを持ったのはハンナの実兄の娘さんの疑問からである。新しすぎはしないか、と。おそるおそるの発見である。アウシュビッツ博物館側は<かばん>が複製であることを認める。複製の必要性を博物館側も石岡さんたちも当然のように認め、ホロコーストを告発する側の使徒のように稀有な語り部として扱われている。ここには批評はない。美しい物語の讃歌のみである。「ホロコースト産業」の著者ノーマン・G・フィンケルスタインが<かばん>が複製であることを見破った娘さんのような役割なのかもしれない。