●「わいがや;1」11月

●「わいがや」という催しを一年以上続けている。モチーフは「何か面白いことやりたいな」である。所属している団体(http://www.occ.or.jp/)の中でお互いの<違い>を発見したいという試みである。まぁ、かっこよくいえば自他の発見の会である。この場合の自他とはお互いを知ろうぜとかの気持ちの悪い集まりにする気は全くなく、自他が交叉しあう磁場の形成が狙いである。こういう言い方もキザであるが、私らが持っている狭い経験の所産でしかビジネスを語っていないことに気づいたからである。これまでのビジネス観が壊れることこそが第一義である。自分の意識が拡大していく時にこそ快感がある!催しのコンセプトのようなものはかくして生まれた。組織が(私らが)いかに外部性を獲得していけるかが、もっとも大事なことである。マーケットの現実をどう見ることが出来るかである。

当然、外部の人を呼ぶことにした。「なんかやってるな」と噂を聞いて寄ってくる人もいた。「アントレ」という起業家向け雑誌に小さく紹介されたこともあって<おいしい商いの匂い>を嗅ぐ「名刺(配り)配達人」のような人も登場したりした。けれども「わいがや;1」はどんな人でも歓迎。なお、常連メンバーの一人が別種の「わいがや」をやりたいと言ってきたので、それを「わいがや;2」とした。「1」がビジネス版とすれば「2」は「ジャーナルなネタ」をもって議論するメディア版である。出版関係者も含むメディア関係の人々が少しずつ集うようになった。

●11月4日の「わいがや;1」は「R25」を議論のテーマにした。リクルート社の「無料誌」の出現を取り上げた。出席メンバーの大半の方々は、現象としての「R25」を知ってはいたが、「何んで問題にするのか?」では出席者が割れた。重厚長大企業出身の人にはリクルート社の「情報誌」事業の成立基盤が(つまり「広告情報」)わからない人もいた。また、出席者のうち出版業界の人でもR社のような企業の存在を「ぴあ」の登場「ぷあ」と揶揄した唐十郎のように、未だに否定する意見があった。「無料誌」は許せないといった一昔前の議論である。これは「書く人」が一等でそれに従事する「編集者」とかが次に偉いとする知的ヒェラルキー観念に依拠している人が多いことを物語っている。知的大衆と愚昧な大衆という二元論でもある。オーバーに言えば、こういった旧制高校生的な<知>の基準で現在を見ること自体が極めてアナクロなことに気づいていない。問題はそこにはない