● 月曜日はどうして不快か

● 月曜はどうも調子が悪い。土日をのんびりと(実はだらしなく)過ごした反動だ。土曜は犬といっしょに過ごした。ふだんはカミサンの身体にベタッとまつわる。当の<ご主人様>がいないとなると<次の主人>に傅く。風呂に入ろうがトイレに行こうがご主人様の足元を嗅ぎながら追いかけてくる。まして外へでも出かけようとしたらキャンキャンと吠えて阻止する。「置いて行かないで」という泣き言である。隣近所でからは犬を虐待しているんじゃないかと思われるほどの泣き騒ぐ。ひとりぼっちが怖いからだろう。そんな犬をカミサンは可愛いというが、私はなんと自立心のない「犬コロめ」と、足蹴にしたりはしないが普段から侮蔑的にしか見ない。そんな<次の主人>の根底的に意地悪な心根を察知してか、いつもはなんともなつかない。
土曜日、私が家の中にいることのみ強要するわがまま犬の傍らで寝穢く眠る。起きてはテレビを観て暮らした。夜遅くカミサンが帰って来たら、もう私の役割は終わり。<次の主人>にはにべもない。
日曜日、車で母親が滞在する老人ホームへ。小さくしぼんだ顔と薄くなった髪の毛を触って声を掛ける。車を置いて郊外のデパートへ。ある会社への贈り物としてしゃれた壁掛けメタリック時計を買う。値段の割にはかっこいいいものを選ぶ。セイコー製。久しぶりに訪れたせいか店の雰囲気が変わっている。もともとが郊外型ショッピングセンターの走りとして「成功」した店。寄りたいところは紀伊國屋書店の売り場だけ。代わったな。新刊などの平台を一回りして駐車場から車を引きだして近くの図書館へ。「新潮45」の加藤健二郎氏の一文を読む。「わいがや;2」で知り会った若くて明るい軍事ジャーナリストの一文。白ロシアの小学校占拠事件の首魁について書かれているが、その人物の像が掴めない。伝わらない。手に取るようには書かれていないのが不満といえば不満。柄谷行人『日本精神分析』(文藝春秋)を借りる。帰り、家近くの「ヴェローチ」でひもとくが、頭に入らない。
 夕飯を食べていたら、香田証生氏の殺害ニュースを知る。「生還と死亡か」「ヒーローとアンチヒーローか」。中越地震で生還した優太くんのベッド姿をNHKは8分間流す。香田くんの殺害ニュースは素っ気ない。<無意味な死>はその程度の扱いか。近所のタバコ屋のおばさんの感想と同じだ。「バカな子ねえ。迷惑かけて」(うん、確かにそうではあるが、そんなバカなことをやってしまうところが若者なんだよ)「セーフティママ」ということばがあって、アメリカ大統領選挙の帰趨を決めるかもしれないといった記事を思い出す。