●吐かせる人

●ある男がある人を評して「吐かせるのがうまい」といった。うーんと唸った。昔のことを思い出したからだ。「吐かせる」のが職業の人、取り調べ刑事のことだ。思い出したくても顔も覚えていない。顔がない連中だ。

「吐かせる」のがうまい人間は、サラリーマン社会ではよくあるという。ライバルを蹴落とすために<彼>の人格的な欠陥からエラー情報をかき集める。そう、敵を殺すために、だ。大きな企業ほどライバルは多いから、ごく普通の人間でもそれを行わなくては生きられない。大きな企業組織のもっともイヤなところだと言う。逆立ちしてもそんな企業に入れなかったから、なかなか実相がつかめない。(いや、厳密にいえばライバルがいなかったわけではない。それほど日常的に「吐かせる」ことをしなかっただけだ。むしろ、同期や後輩たちから学ぶことの方が多かった。三つほどの職場を経験したが、これははっきりいえる。)

情報源のひとつは、<彼>の直接的な部下や周囲。彼らと馴致するために「同化」する。後輩たちは、信頼できる先輩の奢り酒を振る舞われて、愚痴や不満をたらす。「そうだ、そうだ」と相槌を打つ。やがて「吐かせる奴」は次の機会に常套句を使う。「どう?」だ。

「どう?」という問いかけは同化し、馴致した後の符丁だ。前と同じような愚痴を聞いたりはしない。彼は擬似的な仲間を裏切る。「吐かせた」後は、<彼>を殺す情報を握ったら容赦なくその後輩たちの支配にかかる。「吐かせた」刑事が容疑者から起訴に持ち込んだ後は勝者になる。<法>をバックにして優位に立つ。

「吐かせる」と「話を聴く」との間には大きな隔たりがある。前者は一瞬の同化、後者は相手を全身で受け止める。吸って吐くのだ。「吐かせる人」は吸わない。相槌は打っても眼は計算している。彼が敵を殺す時のことばは、「俺の耳にも入っている」だ。