●国家に近い人の死、そうでない人

●橋田、小川というフリージャーナリストのイラクでの狙撃事件。何ヶ月か前の(いつだったか忘れているが)外務省外交官の死とのマスコミの取扱の「差」。<国家に近い人>と、フリーという下請報道者の死を取り扱うメディアの手口にいささか怒りを覚える。これが朝日新聞記者やなんとかテレビ局の社員報道記者の死だったら、政府も新聞もテレビも違う扱いをしただろう。

組織に属していない人間と、れっきとした国家組織の人間(マスコミも含めてだが)の死者に対する扱いの多寡(情緒的な記事も含めて)は、《「国家の威信」を痛く傷つけられた》とする基準であろう。外交官の死には、政府から大きな花輪と弔辞が贈られる。たぶん、橋田さんらには政府側からは届かない。

当たり前だという意見があるだろう。官僚は国家に従事し、フリージャーナリストは民間の会社の下請けじゃないか。政府から弔辞なぞもらうことはないという論理だ。
橋田さんらの葬式が報じられることがあっても、それはお涙頂戴のエピソードを綴るための小道具だ。

大新聞もテレビ局も橋田さんたちのように、戦場の一線では動いていなかった。「社員」であるからだ。外務省が発するイラク情勢の危険信号を「守る」側にいたからだ。