●老いて我執

●あるネットワーク組織での話だ。ネットワークを作る時に(いやマスコミ用かも)
理念を掲げる。それは組織の会則などに織り込まれたりするが、時間の経過と共にその理念について議論したりすることが青っぽいという風に変わっていく。これは日本国憲法の話にも通ずる。

「だって、私が、ひもじいんだもん」という声が登っていく。我執といってもいい。私もひもじい者の一人だし、ひもじさは個人的な問題だからと躊躇する。その声はハイトーンの声高の情念的なことばになり、それを遮ることばを失っていく。かくて、「情念」と「理念」は、「現実」と「非現実」という風にすり替えられていく。

国家も会社もそうだ。ビジョンとミッションを見失ったものは、いつのまにか結集軸を喪失して行くことに気がつかない。ここが退廃、敗北のポイントだ。ビジョンは、社会に向かって発言しているし、その目的を実現するための集団であろうと宣言しているのだが、それをいつのまにか水に流すことに平然としている組織は、自壊する。

ひたたすら<社会>、外部への働きかけである。外部へ向かえば、外部に触れることによって、閉ざされていたが故に鋭敏な内部世界のちっぽけなものが瓦解する。一個人の<ひもじさ>が解決するのは、その後からだ。