●曽我ひとみさんのこと

●土曜日の夕方以降、TVを見続けた。以下、短絡的なコメントを綴る。

曽我ひとみさんはカリスマ性がある。

一昨年の帰国当時、タラップを降りて来た時の固い表情を覚えている。まるで映画のシーンのようだった。彼女の回りだけが別の空間だった。一人で帰ってきた(いや、「選ばれて」帰らせられたのかもしれない)のだが、親戚や家族たちに囲まれて抱擁している蓮池、地村一家の賑わいをよそ目に、ひっそりとした風情が何かを拒絶しているようで胸打たれた。後に、故郷を唄った詩句を発表した時にも身震いした。<詩のようなもの>を選んだ時点で、彼女は異質な<ことば>を持つ者という印象を与えた。

土曜日の記者会見でも、席の真ん中に座らせられている。蓮池、地村夫婦二人の間に挟まっている。席順は偶々だろうが、この偶然はカリスマ性の与件であろう。なりたくてもなれない<中心>に座る。しかも、それを誰もとがめられない。ある威厳が備わっている。既にリーダーをかたち作っていると思える。

曽我リーダーは、公の場では自分の不幸を語らない。涙しない。帰還した蓮池-地村家族を祝福しつつ、耐えようとしている。馬鹿な記者が「今晩はどういう風に過ごしますか?」みたいな質問を投げかけて地村さんに拒否されていたが、そういった日常のディテールで安手な「帰還の物語」を作ろうとする連中に対して、曽我さんは<不幸>の持ち主であるが故に超越的な人間、カリスマ的な人間が(ごく自然に)登場する姿を見た。

拉致、母親も行方不明、なお「亡命米兵の妻」という三重の<不幸>を背負わされつつ、記者会見では泣き言言わずに「信じている」としか言わない。彼女の肉体を伴った単純な短いこのことばは、凡庸な政治家のアジテーションや手柄顔を越え始めた。
一人のカリスマ的存在が生まれた、といってよい。